Saaya(須賀紗彩/すがさあや)さん

音楽やダンスの授業があることも後押しになりました。入学後、眠りから覚めるように活動的になり、自分を表現する場を次々と見つけていきます。高校卒業後は音楽活動に力を入れ、ジャズやテクノを融合した独自のスタイルを追求しながら、次第にサンバへの傾倒を深めていきました。

そんな中、選択授業でサンバに出会い、講師である大道寺美穂子さんとの出会いを経て本格的にサンバを学び始めます。2014年、自由の森学園サンバチームが浅草サンバカーニバルS1リーグに昇格したことで、初代ハイーニャ・ダ・バテリアに選ばれたことが転機となり、彼女はブラジル行きを決意します。

マンゲイラへの挑戦

S1リーグへの昇格をきっかけに、「勉強しないといけない」と思ったSaayaさんは、本場ブラジルでサンバを学ぶ覚悟を決めます。語学も文化も未知の地で、彼女は一から語学学校に通い、毎日必死に学びました。最初のエンサイオ参加は、語学学校の校長が引率したサウゲイロでの体験。

そこで踊ったことをきっかけに「出てみる?」と誘われるも、「私が行きたいのはマンゲイラ」と明言。翌週、念願のマンゲイラのエンサイオに足を踏み入れた彼女は、紹介された人物の前で踊った結果、その場で「もっと踊ろう」と受け入れられます。後にその人物がマンゲイラのアルモニアのジレトールであったことを知り、その出会いが道を開きました。

そこからSaayaさんのマンゲイラ生活が始まります。毎週、クアドラに一番乗りで通い、パシスタ練習にも真剣に取り組みました。当初は練習場所が分からずバテリア練習に混じっていたものの、声をかけられてようやくパシスタ練習にたどり着き、正式に登録。

どんなに遅い時間でも必ず現場に行き、衣装や指定物は完璧に準備。そんな姿勢が評価され、「Saayaを見習え」と言われるほどの存在になります。

深夜にファヴェーラ近くを通ってクアドラへ通う日々。彼女は「私はこの場所の一員です」と示すため、名前入りのバッグを持ち、安全を確保しながら活動を続けていました。マンゲイラでの経験は、ダンス技術だけでなく、覚悟と誠実さを形にした日々であり、彼女を真の意味での“ダンサー”に育てた場となったのです。

今のSaayaさんは、単なるサンバダンサーではありません。サンバを通じて人と人がつながる場をつくることを自身のミッションとし、生徒の個性を生かしたショーのプロデュースも行っています。もともとは「サンバさん」と呼ばれることに違和感を覚え、「Saayaというダンサー」として認められたいという思いもありました。

だからこそ、個としての表現を大切にしながら、他者と関わることで生まれる化学反応を大事にしているのです。かつてはダンススタジオを夢見ていた彼女ですが、現在は“人が集まり、つながりを生む”コミュニティセンターのような場所を目指しています。

Saayaさんが描く未来像は、「大きなことを成し遂げる」ことではありません。10年後、自分の手の届く範囲で、人の幸せを生み出す場所が少しでも増えていればいい。そう考えています。サンバを教えること自体が目的ではなく、サンバを通して人と関われることこそが本質だと信じているからです。次世代に向けては、「あなた自身の価値を信じて」と伝えたい。サンバは、そのきっかけを与えてくれる力を持っていると、彼女は確信しています。

あなたにとってブラジル、サンバとは?

「ブラジルは、私が本当に目覚めた場所です。そして、サンバは、私に人生を与えてくれた存在。」とSaayaさんは語ります。サンバは彼女の中で、ただのダンスではなく、生きる理由であり、人と世界とをつなぐ扉でした。その思いは、これからもSaayaさんの軸として、さまざまな場所に響いていくに違いありません。