「踊りや音楽は、私にとってずっと身近なものでした」と語るゆみさん。幼い頃に習った日本舞踊、中学時代に始めたバンド活動ではドラムを担当し、ヒップホップも楽しむなど、常に“リズムのある生活”を送っていました。
そんな彼女がサンバと出会ったのは、ある日ふと耳にしたブラジル音楽の力強く明るいリズム。「とにかく、この音楽で踊りたい!」と心を突き動かされた瞬間こそが、すべての始まりでした。
踊りの先にあった使命
2004年、都内のサンバチームに加入したゆみさんは、関東各地でのイベントやテレビ出演を重ね、ハイーニャ・ダ・バテリアにも選出。踊るだけでなく、後進の育成や演出にも携わるようになりました。
📌 主な出演歴
・浅草サンバカーニバル
・紅白歌合戦(バックダンサー)
・SMAPドームコンサート
・CM「のどごし生」
・スポーツクラブでのインストラクター
・ホテル・レストランでのサンバショー
そして2010年、「生まれ育った場所でサンバを広めたい」との想いからブロコ埼玉(旧:ブロコ大宮)を立ち上げ、地域に根ざしたチームとして現在も代表を務めています。

サンバが“生活”になった日
「サンバがなかったら、どんな人生を歩んでいたと思いますか?」という問いに、「考えられないですね。きっと、どこかでまたサンバに出会っていたと思う」と即答するゆみさん。サンバの魅力は“自由さ”にあるといいます。正解を押し付けられることなく、自分で感じて、表現できる。だからこそ「型にハマらない表現」が自分に合っていたのだと語ります。20年以上踊っていても、思い通りにいかないことがある。それでも“それが面白い”と笑うゆみさんの姿に、踊り続ける理由がにじんでいます。
サンバを通じて最も変化したことを尋ねると、「自分を外から見られるようになったこと」と話してくれました。踊っている自分を客観視する“もう一人の自分”の存在に気づき、「今の動き、ちょっと違うな」「ここはこうした方が良いかも」と修正できるようになったといいます。この視点は、サンバだけでなく、日常のコミュニケーションや自己理解にも影響を与えているそうです。

つながるサンバ、日本に根づくサンバ
10年後の日本におけるサンバについては、「もっと日本の文化と融合して、身近な存在になっていてほしい」と話します。伝統芸能や地域のお祭りとコラボするなど、日本ならではの形で広がっていくのが理想だと考えているそうです。また、次世代に向けてのメッセージも印象的でした。「もっと自由でいいし、どう思われてもいい。サンバを踊るときは、自分を解放していいんです。わかってくれる人には、きっと伝わるから」。その言葉には、20年以上踊り続けてきた彼女の信頼と希望が込められています。
サンバとともに生きる
最後に「ゆみさんにとって、ブラジルとは? サンバとは?」と尋ねると、「うーん…もう、自分の一部かも」と、少し照れくさそうに笑いました。踊り続けてきた年月の中で、サンバはただの文化ではなく、自分の呼吸そのものになっていたのかもしれません。これからも彼女のリズムが、多くの人に元気と自由を届けていくことでしょう。

おわりに
ゆみさんのストーリーを通じて、サンバがただの踊りではなく、人と人の心を結ぶ力を持っていることを改めて実感しました。そしてこのインタビュー企画は、次の物語へとつながっていきます。(文責・Romi)